原画情報: |
1831~34年 原画サイズ824.6×35cm)
|
作者紹介: |
葛飾 北斎(葛飾 北齋 、かつしか ほくさい、宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)とは、江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人。
代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。
森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。しかし、北斎の絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなっただけでなく、風景画にも新生面を開いた。北斎の業績は、浮世絵の中でまさに巨大な高峰であったが、達者な描写力、速筆は『北斎漫画』の中にも見ることが可能である。さらに、読本(よみほん)・挿絵芸術に新機軸を見出したことや、『北斎漫画』を始めとする絵本を多数発表したこと、毛筆による形態描出に敏腕を奮ったことなどは、絵画技術の普及や庶民教育にも益するところ大であった。葛飾派の祖となり、後には、フィンセント・ファン・ゴッホなどの印象派画壇の芸術家を始め、工芸家や音楽家にも影響を与えている。シーボルト事件では摘発されそうになったが、川原慶賀が身代わりとなり、難を逃れている。ありとあらゆるものを描き尽くそうとした北斎は、晩年、銅版画やガラス絵も研究、試みたようである。また、油絵に対しても関心が強かったが、長いその生涯においても、遂に果たせなかった。1999年には、アメリカ合衆国の雑誌『ライフ』の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインした。門人の数は極めて多く、孫弟子も含めて200人に近いといわれる。
|
作品紹介: |
『富嶽三十六景』(ふがくさんじゅうろっけい)は、葛飾北斎の作成した代表的な風景画・浮世絵である。現在では作品名を「富嶽三十六景」と表記することが多いが、実際の作中では異体字で「冨嶽三十六景」とされている。「富岳三十六景」と表記されることもある。
「富嶽」は富士山のことであり、各地から望む富士山の景観を描いている。
初版は1823年(文政6年)頃より作成が始まり、1831年(天保2年)頃から1835年(同4年)頃にかけて刊行されたと考えられている。版元は永寿堂西村屋与八。
発表当時の北斎は72歳と、晩年期に入ったときの作品である。遠近法が活用されていること、当時流行していた「ベロ藍」ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色である。
浮世絵の風景画は当時「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立したと言える。
「凱風快晴」や「山下白雨」のように、富士山を画面いっぱいに描いた作品から、「神奈川沖浪裏[7]」や「甲州伊沢暁」のように遠景に配したものまであり、四季や地域ごとに多彩な富士山のみならず、各地での人々の営みも生き生きと描写している。
巨大な波と舟の中に富士を描いた「神奈川沖浪裏」、赤富士を描いた「凱風快晴」などが代表的な作品として知られる。
当初は名前の通り、主版の36枚で終結する予定であったが、作品が人気を集めたため追加で10枚が発表され、計46枚になった。追加の10枚の作品を「裏富士」と呼ぶ。
日本のみならず、ゴッホやドビュッシーなど、世界の芸術家にも大きな影響を与えた。
2010年10月31日、葛飾北斎の生誕250年を記念して、Google日本版のホームページのロゴが「神奈川沖浪裏」バージョンとなった(画像)。
クイックシルバーブランドのロゴに使われている。
顔料「紺青」は本作に使われたことで普及したとの俗説がある。
|