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生産現場利用案内
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注意事項: 原画情報: 1915年 78×39cm コペンハーゲン国立美術館 作者紹介: 。 絵画の代表作の大部分は1916年から1919年の間に集中して制作されている。モディリアーニの絵画のほとんどは油彩の肖像画であり(風景画はわずか3点)、顔と首が異様に長いプロポーションで目には瞳を描き込まないことが多いなど、特異な表現をとっているが、これは自身の彫刻の影響が指摘されている。なお、初期にはピカソの「青の時代」やポール・セザンヌの影響を受けた絵を制作している。 1917年にはベルト・ヴァイル画廊にて、生前唯一の個展を開催したが、裸婦画を出展したのが元で大騒ぎとなり、一日で裸婦画を撤去する事態となった。同じ年、後に妻となり、裸婦像などの絵画モデルを務めた画学生ジャンヌ・エビュテルヌと知り合っている。彼女を内妻とし、1918年に長女ジャンヌをもうけるも、貧困と持病の肺結核に苦しみ、大量の飲酒、薬物依存などの不摂生(ただし飲酒については肺結核による咳を抑えるためしかたなく飲んでいたと言われる)の末、1920年1月24日に結核性髄膜炎により35歳で没した。彼の二人目の子を妊娠していた妻のジャンヌもアメデオの死の2日後、後を追って自宅から飛び降り自殺した。この時妊娠9ヶ月だったという。ジャンヌの遺族の反対もあり、二人の遺体は10年後になってようやくパリのペール・ラシェーズ墓地に一緒に埋葬された。 ペール・ラシェーズ墓地にあるモディリアーニとジャンヌの墓石モディリアーニの生涯は半ば伝説化しており、映画化もされている。 『モンパルナスの灯』(1958) 監督:ジャック・ベッケル、主演:ジェラール・フィリップ、フランス映画 『モディリアーニ 真実の愛』(2004)監督:ミック・デイヴィス、主演:アンディ・ガルシア、6カ国合作 だが、近年になりジャンヌの写真や絵画が再発見されるとともに、伝説と化した彼らの生涯の再評価が始まっている。 エピソード ピカソに12年前の借金を返済されたとき、100スー(5フラン)の借金に対して「利子」と称して20倍の100フランを請求したという。 1歳2ヶ月で両親に先立たれたモディリアーニの娘ジャンヌ(1918-1984)はモディリアーニの姉に引き取られ、フィレンツェで育てられたが、はじめは両親をめぐる事実を知らされていなかった。後年、自らも美術に携わり、ドイツ表現主義やエコール・ド・パリ、ゴッホなどの研究を経て、父モディリアーニの研究にも従事した。 作品紹介: <<前へ: 69苦い薬 次へ>>: 71